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新宿の“地獄”から日本の“モンマルトル”へ
新宿山手七福神(東京都)
太宗寺
 新宿から飯田橋にかけて分布している「新宿山手七福神」。かつては都バスぐらいしか交通の便がなかったが、現在ではちょうど七福神の分布にあわせるかのように、地下に都営大江戸線が走る。賃貸マンションやアパートの看板が多く目立つのも大江戸線効果のゆえか。七福神は、全体的にこじんまりとしたものが多い。
江戸六地蔵  まずは新宿二丁目にある「太宗寺」へ。高遠藩主・内藤家の江戸屋敷があった所で、もともと「内藤新宿」と呼ばれていた。その内藤家の菩提寺がここ。江戸六地蔵の三番手・クリンナップを務める「地蔵菩薩坐像」(写真)や塩にまみれて真っ白な「塩かけ地蔵」を擁し、「閻魔像」(1814年安置)や「奪衣婆像」(三途の川の番人・1870年作)もおられる、非常に地獄トーンの高いお寺。言うなれば新宿の“地獄”
 しかし、境内は七福神をめぐる人で和気あいあいとしているので、そのギャップがまたおもしろい。時間があれば、内藤さんのお屋敷があった所(現・新宿御苑)を訪ねてみてもいい。
鬼王神社  お次はおどろおどろしい名前の「鬼王神社」。歌舞伎町にビルに挟まれて佇む。ちょっと日照が気の毒なくらいであった。邪鬼の頭の上に手水鉢をのせた水鉢がある。祭神はなんと平将門。歌舞伎町ににらみをきかせているのか。
 さて、ここまで歩いてきて、新宿の雑踏を抜けるのにえらく時間がかかってしまい、先をあせる人もいるだろう。しかし、鬼王神社から先は人混みもなくスムーズに進む。と同時に、鬼だ閻魔だ奪衣婆だといった鬼気迫るエリアを抜け、正月らしい風情が戻ってくる。
厳島神社抜弁天  抜弁天通りを5、6分歩くと「抜弁天(ぬけべんてん)」と名付けられた交差点にあたる。ここは大通りが二股に分かれる所にあたり、ちょうど河川のデルタ地帯のようになっている。この抜弁天の交差点を中心に、「永福寺(福禄寿)」「厳島神社 抜弁天(弁財天)」「法善寺(寿老人)」の3福が集結していて、ものの10分足らずで回ることができる。
 「厳島神社」(写真)は、二股に分かれた道の狭いスペースにささやかな祠があるだけの神社だが、平安時代末に八幡太郎義家が戦勝を祈願したと伝えられ、別名・抜弁天と呼ばれる。名の由来は、苦難を切り抜けるからとも境内を南北に通り抜けられたからともいう。このわずかなスペースに池や橋(すごい小さなミニ橋)を作り込んでいて、ちょっと盆栽か坪庭風。日本酒やミカンなどの奉納の品が山と積まれていて、地域の人々から親しまれている様子が境内のコンパクトさと相まってほほえましい。
辺見庸  今度は、抜弁天から大久保通りを目指す。将軍綱吉の“生類憐みの令”によって造られた「犬御用屋敷」跡の碑文などがある。道中、七福神に立候補していない寺が、辺見庸氏の額を掲げて存在をアピール(写真)。
 この抜弁天〜経王寺間と次の経王寺〜善国寺間はちょっと距離があるので(といってもそれぞれ地下鉄1.5駅分くらい)、体力や残り時間に応じて大江戸線を利用しよう。大江戸線牛込柳町駅のすぐそばに「経王寺」。この大黒天は、1598(慶長3)年に安置されたという。境内は石段を登る高みにあって、落ち着いた感じだ。
善国寺  神楽坂上の交差点を右折し神楽坂を下って、いよいよ最後の一寺「善国寺」へ。江戸期より「神楽坂の毘沙門様」として有名な寺で、1595(文禄4)年麹町に創建されたが、1793(寛政5)年に神楽坂に社屋を移転。本尊の毘沙門天像は加藤清正の守仏と伝えられている。本堂の朱色が、まわりのコンビニやファミレスに負けじと輝いている。
 夕方になり、毘沙門天の境内にあるぼんぼりがほのかに灯りだした。神楽坂は、日仏学院が近いこともあって在日フランス人から好まれ、その坂の景観から「日本のモンマルトル」と呼ばれているそうだが、そのような目で見ると異国情緒も漂ってくるであろうか、神楽坂に行ったらぜひフランス人の目で凝視してみてほしい。そんな坂の道をゆるりゆるりと下りながら帰途につく。

 【DATA】
 ■太宗寺(布袋尊) 東京都新宿区新宿2-9-2
 ■鬼王神社(恵比寿神) 東京都新宿区歌舞伎町2-17-5
 ■厳島神社 抜弁天(弁財天) 東京都新宿区余丁町8-5
 ■永福寺(福禄寿) 東京都新宿区新宿7-11-2
 ■法善寺(寿老人) 東京都新宿区新宿6-20-16
 ■経王寺(大黒天) 東京都新宿区原町1-14
 ■善国寺(毘沙門天) 東京都新宿区神楽坂5-36


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