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芭蕉は眠っているか?
封人の家(山形県)

封人の家

 山形県と宮城県の県境にあたり、太平洋と日本海側の分水嶺がある堺田(山形県最上町)には、「おくのほそ道」で芭蕉が泊まったという「封人の家」がある。「封人」とは国境の守役のことで、正式には旧有路家住宅という。有路家はこの地で代々庄屋を勤めた人物で、この家は築350年と推定されている。
 芭蕉が宿泊した当時の建築を現在にまで伝える唯一のものなのだそうだ。
馬屋(馬は作り物)  で、さる夏の日に、何の予備知識もなくふらりと訪れたところが、この日は、ちょうど芭蕉が泊まった日(旧暦5月15日〜17日)ということで、受付のおじさんが愛想よく炉端に招いて、張り切って説明をしてくれた。
 「封人の家」は土間のわきに馬屋がある、南部曲がり家と同じような人馬一体の住構造。座敷から広い土間をはさんで、3室の馬屋が配されている。いずれも軽自動車やリッターカーなら停まれそうなぐらい広い。芭蕉はここで、

 『蚤虱馬の尿する枕もと』

 という一句を詠んだことになっているのだが、この句の解釈をめぐっては、いくつかの説がある。
 芭蕉はここで、馬小屋に泊められて、蚤や虱に悩まされたという通説(俗説)と、“蚤虱”というのは、この堺田の農民のようす、地勢のようすを述べたものであり、また、馬も、江戸時代の堺田(小国地区)が近隣随一の馬産地であったという事実をふまえ、馬の尿する音が聞こえるぐらいの人馬一体の暮らしぶりを詠んだもの、という説があるそうだ。
封人の家の土間  確かに『蚤虱馬の尿する枕もと』を、その字面通りに読むと俳聖芭蕉の作にしてはあまりにも芸がない。俳句というよりも、楽天トラベルなどに載っている「部屋が汚い、サービスが悪い、もう利用しない」といった利用者の苦情とさしてかわりがない。
 芭蕉ほどの人が詠んだのだから、ちゃんと意味が込められているハズ、と、「こちら(封人の家)では、そういう風に説明しております」とおじさん。

 「封人の家」は江戸期には庄屋や旅館も兼ねていて、家の奥には要人を泊めたと思われる床の間や座敷があるのだが、「芭蕉さんは(馬小屋ではなく)もちろんこちらの座敷で泊まりました」とおじさん力説。

封人の家  しかし、行きに乗った鳴子のタクシーの運転手は、「芭蕉さんは馬小屋に泊められたそうだねぇ」と、こともなげに言っていたから、もしかすると山形県側と宮城県側で句の解釈が分かれているのかも知れない。

 さらに衝撃的なことに、宮城県側の『鳴子町史』(1974年)は、芭蕉は最初、宿を求めた家に断られて、遠戚にあたる近在の家――この「封人の家」――を紹介されたのではないかとの仮説を述べている。
 つまり、当日は多客期(繁忙期)だった可能性がある。すると芭蕉一行は、満員の山小屋よろしく、この有路家でも奥座敷に入れてもらえなかったのかもしれない。
封人の家  となると、芭蕉が寝たのは、馬小屋か奥座敷か。
 こういうのは芭蕉に同行した秘書兼記録係の曾良の記述が気になるところだが、「やっと晴れたので、堺田を出発する」と書かれている程度で、芭蕉が寝た場所までは判明せず。
 「サービス悪く、先生いたくご立腹。」とか書かれていれば、この解釈論争にも終止符を打つものを。

 『蚤虱芭蕉はいずこで寝たのやら』


  封人の家(旧有路家住宅)
  ■住所 山形県最上郡最上町堺田59-3
  ■TEL 0233-45-2397
  ■開館 4〜11月の8:30〜17:00(11月は〜16:00)
  ■入館料 大人250円
  ■交通 JR陸羽東線堺田駅より徒歩10分

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